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母子週末保養@支援村 ご報告

6月18日〜19日にかけて、福島県福島市から35名のお子さんとその保護者が支援村に滞在しました。経緯はこちら

バスで6時間もかけて支援村に到着したご一行。あいにくの雨でしたが、子供たちはバスから降りるや否や体育館に駆け込み、すぐに元気よく遊び始めま した。「福島では体育館で遊ぶにしても窓を締め切ってるから、とても開放感がありますね。」「鴨川では誰もマスクをしていないので子供たちも驚いていま す。」というお母さんたちのお話しが印象に残りました。

間もなく、鴨川市の長谷川教育長と支援村の小川代表から歓迎の挨拶があり、続いて福島側の代表、西崎さんからのお話がありました。静かに話に聞き入っていた子供たちも、自由時間が始まるとすぐに遊び始めました。そこに地元の大山っ子たちも参加し、体育館は大賑わいでした。子供たちの笑顔や思い切り遊ぶ姿を見て、早くも「今回の母子週末保養が実現できて良かったな〜」と思いました。

夕方には大山青少年研修センターのご好意でお風呂を利用させていただき、支援村に戻った後は消防団の皆さんを中心にバーベキューをして福島の皆さんを振舞いました。バーベキューでは福島の皆さんと支援村スタッフ、地元の方々が楽しく交流しました。

翌朝、支援村で朝食を摂ったご一行は市に招待され、鴨川シーワールドへ。シーワールドではイルカショーなどを楽しんでいただき、午後には福島へ帰られました。

今回、事務局の岩田の縁で「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」とつながり、こうして母子週末保養を実現できました。数多くのボランティアの方々に事前準備から当日の運営まで、たくさんのご協力がいただけたからこそです。おかげさまで福島の皆さんからは大変喜ばれ、大成功となりました。ご協力い ただいた皆様には心より感謝を申し上げます。

支援村一同

 

 

母子週末保養の受け入れに向けての準備

6月16日と17日は平日にも関わらずボランティアの方が11名が参加し、支援村スタッフと共に母子週末保養(6月18日〜19日)に向けての掃除と準備をしました。

「福島からの皆さんが少しでも快適で楽しく過ごせるように」…そんな思いが作業をするボランティアの方々から伝わってきました。おかげさまで支援村は生まれ変わったかのようにきれいになり、週末保養への準備が整いました。

改めて、ご協力いただいた皆様に感謝を申し上げます。

支援村一同

福島市からの母子週末保養の受け入れとボランティア募集

支援村が立ち上がってから3ヶ月が経ち、ようやく支援村の施設が本格的に活かされる展開となってまいりました。

この度、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の方々とご縁をいただき、 福島市から35名を一泊二日で受け入れることになりました。 

経緯:

福島市内の放射能汚染も深刻化しており、放射線量の数値は通常より高い数字になっています。各家庭では子供たちが屋外に出ることを極力控え、室内で遊ばせているため子供たちのストレスが心配されています。このような現状を受け、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」は、大山支援村に週末に屋外で思いっきり遊べる週末保養の企画を打診し、支援村は受け入れを決定しました。募集を募ったところ多くの希望者があり、10家族35名(内訳:3歳〜13歳のお子さん22名、保護者13名)が支援村での週末保養に参加することになりました。
受け入れの日程:
6月18日(土)14:00〜19日(日)13:00まで

母子週末保養の受け入れ準備のため、ボランティアを募集致します。

作業内容と日程:

寝室掃除と寝具準備、調理室とダイニングルーム(図工室)掃除と準備
・6月16日(木) 9:00〜11:30

*作業予備日(前日の作業の進み具合によって開催します)
・6月17日(金) 9:00〜11:30
・6月18日(土) 9:00〜11:30 

上記の日程で作業を行いますので、ご都合のつく方はこちらまで、
参加できる日程、お名前・ご連絡先(メールアドレス)を明記の上、ご一報ください。
尚、準備する道具は特にございません。

ご参加をお待ちしております。

支援村一同

「元気鴨川2011」出展のご報告

6月12日、日曜日。

支援村は鴨川市役所前広場にて開催された「元気鴨川2011」に出展しました。
おかげさまで天候に恵まれ、大勢の来場者で賑わいました。

支援村は飯舘村からの畜産農家の(現在は茨城県在住)菅野夫妻も招き、3.11前の飯舘村の自然を撮った写真を展示し、その写真のポストカードを販売しました。お買い上げ下さった皆様、ありがとうございました。ポストカードの売上は福島に桜の木を植えるプロジェクトへの支援金となります。

支援村ブースでは太陽光発電でパソコン2台を作動させてこれまでの支援村の活動の映像や写真を紹介しました。幸いにも晴れたのでイベント中ずっと作動することができました。原発に頼らない電力の供給を小さい所からでも始めたいものです。

Yaeのライブでは菅野さんがステージに立ち、飯舘村の状況やご自身の現状や今後について大勢の観客の前で語りました。
現地の状況や被災者の生の声、支援村の活動を鴨川の皆さんに知っていただく、とても良い機会となりました。

改めてこの機会を下さった「元気鴨川2011」の主催者の皆様に感謝を致します。

支援村一同

支援村「元気鴨川2011」出展のお知らせ

支援村は6月12日(日)に開催される東日本復興支援チャリティーイベント、「元気鴨川2011」に出展いたします。

支援村の特設ブースでは福島県飯舘村からの畜産農家・菅野さんを招いてのトーク、物品販売、写真展示、 スタッフによる被災地訪問のビデオと写真の上映を予定しています。ビデオや写真の上映に使うPCは太陽光発電で起動する予定です。

是非お誘いあわせの上、お越し下さい。

元気鴨川チラシ

<日時>
2011年6月12日(日) 10:00~15:30

<会場>
鴨川市役所前広場
*雨天時は鴨川市文化体育館にて開催します。

<内容>
フリーマーケット
安心安全!農産物直売
新鮮な海の幸!海鮮焼き
元気鴨川!おらが丼
特設ブース
鴨川市観光協会 波の伊八鴨川まちづくり塾 鴨川市大山支援村
鴨川シーワールド 元気鴨川チャリティーTシャツ
ステージ
10:00 オープニング
10:20 チャリティー音楽ライブ
水谷学司 里アンナ りりィアンドよーじ Yae
12:40 スペシャル・サーフィンスクール
小川直久 石井寛路 高梨敏行 牧野優介 渡辺将人 小川幸男
サーフライダー・ファウンデーション・ジャパン
13:40 ZERO1 子どもプロレス教室
14:00 ZERO1 夢のチャリティーマッチ 三番勝負
15:20 フィナーレ

*11:30 13:30 に「おたのしみ福引大会」を予定。

<主催>
元気鴨川2011実行委員会
かもナビ実行委員会
社団法人鴨川青年会議所
社団法人鴨川市観光協会

<後援>
鴨川市

<お問い合わせ>
かもナビ実行委員会 事務局
TEL 04-7099-1057(担当:渡辺・栖原)

 

支援村だより、第3号発行

5月31日、火曜日。

本日、最新の支援村の活動を地域の皆さまにお知らせするための地域新聞、「鴨川市大山支援村だより」の第3号を発行しました。

今回の主なご報告は以下の通りです。

<被災者の来訪に関するご報告>
4月14日〜16日 Hさん(福島県浪江町)とOさん(同県飯舘村)の来訪
4月28日 Kさん(飯舘村)の来訪

<支援村スタッフによる被災地訪問のご報告>
5月11日〜12日 2回目の被災地訪問
5月23日〜25日 福島県相馬市での出張支援カフェ
・5月25日飯舘村での「第2回・村民の集い」参加

<今後の取り組みに関するご報告>
・母子短期疎開の受け入れ実現に向けての調整
・6月12日 鴨川市役所前広場にて開催される「元気鴨川2011」に参加

<支援金のご報告>
・5月28日 鴨川市内にあるジャズ&ブルースの店「風雲」で大山支援村チャリティライブが開催され、入場料全額のご寄付をいただく

「鴨川市大山支援村だより」は各地区の回覧板で回す他、鴨川市役所、大山地区内の主要スポット、20箇所ほどに設置する予定です。

またPDF版がダウンロード可能です。 ↓

支援村だより3号

出張支援カフェ「awanova in 相馬」

5月23日〜25日にかけて、支援村のスタッフ3名が福島県相馬市に赴き、出張支援カフェを開きました。
大山・金束にて月に一度開催されているカフェawanova主催の米山美穂と佐久間康栄、「cafe 草so」を営む畑中亨(平塚)は鴨川から持参した手作りのお菓子やコーヒーを被災者の方々にふるまいました。

以下、米山美穂による出張支援カフェ「awanova in 相馬」の報告と写真です。

5月23〜25日、鴨川大山支援村の支援活動として、福島県相馬市へ
出張カフェで行ってきました。

3.11以降、awanovaとして何ができるだろうとずっと考えていました。
4月1日の記事にも書きましたが、

「おいしいもの、愛あるもので、みんなを笑顔にし、つないでいく場」

それがawanovaの役目。
だとしたら、いつも通りのawanovaを届ければいいんじゃない?
被災地へ出向いて行こうか、そんな話をしていた頃……
ちょうど、飯舘村から大山支援村を訪れた酪農家のK夫妻のご紹介で、
相馬市のOさんとご縁ができたのです。

Oさんは、震災前から「おひさまプロジェクト」という地域活性
活動をしていた方。震災後、ご自身が被災者であるにもかかわらず、
避難所への支援をされていて、ちょうど「避難所の人たちがホッと
できるカフェのようなものをやりたい」と考えていたとのこと。
でも、カフェの経験は全くないし、道具もないし、誰かに手伝って
ほしい……と。

それなら、その立ち上げのお手伝いに行こう!と、急遽出発4日前に
ことが決まり、ヤスエ、ミホ、そしていつもawanovaに出店してくれ
ている「cafe 草so」のトオルの3名が、大山支援村カフェチーム
として相馬市に向けて出発しました。

相馬市は福島原発から約40km圏内の地域。
風向きと地形のおかげで、同じ40kmの地域よりもやや放射線量
の値は低めです(ただし、最近相馬市内でも、山側に線量の高い
地域があることがわかってきたそうです)。

しかし、海沿いは、津波で壊滅的な被害を受けた集落があります。
「これでもずいぶん片付いた方なのよ」と地元の人はおっしゃって
いましたが、市内の道路は、ひっきりなしに瓦礫を運ぶトラックや
消防隊、自衛隊の車が行き来していました。
市内にはまだ避難所が8カ所ありました。

カフェの会場となったのは、相馬市役所前にある「割烹まる久」。
創業明治27年の老舗割烹です。
この周辺は海から数キロ離れているので、津波による被害はあり
ませんでした。

まる久さんの建物は、一見何も被害がないように見えますが、
震災で中はぐちゃぐちゃになり、壁もヒビが入り、廊下は段差
ができ、最近になってやっとメニュー限定で営業できるように
なったそうです。

そんなまる久さんのご好意で、広い和室の宴会場を5日間お借りして、
「おひさまcafe」+「awanova in 相馬」が始まりました!

看板はまる久さんのご主人の作。

まる久さんのご主人はアーティストでもあり、相馬の絵葉書や絵地図
を作成し、「町と城と風の会」という相馬の歴史や自然環境保存の
活動もされています。

いつものawanovaと同じように、オーガニックの食材と鴨川産
の果物(柚子や夏みかん)を使ったベジスイーツたちを並べます。

Oさんが「地元のお店もがんばってほしいから」と、相馬の
洋菓子店のショートケーキや、支援物資で届いたというラスク、
みつ豆も一緒に並びました。

ドリンクもスイーツも、避難所にいる被災者の方はすべて無料です。

Oさんから「避難所のような簡易の食器ではなくて、きちんと陶器で出したい」と
うかがっていたので、お皿、カップ、カトラリーは支援村のものを持参しました。

訪れた人がリラックスできるよう、BGMも準備。

さらに、Oさんが、花器にお花を生けると、何もなかった和室が一気になごみの空間に
変身しました。

そして、なにより部屋いっぱいに漂うコーヒーのアロマが、最高の演出!

ドリンク担当のトオルさんが、注文ごとに豆を挽いていれるコーヒーは、
「避難所では飲めてもインスタント。こんなおいしい珈琲は久しぶりだわ」と
大好評でした。
珈琲豆は、awanovaでもおなじみ「藁珈琲洞」のしげちゃん焙煎のものです

堰を切ったように一気に思いを語る方、ただ静かにその時間を
味わう方、仲間と思いっきり大きな声で笑って、おしゃべりに
はなが咲く方々……、それぞれが避難所では持てない、大切な
時間をここで過ごされているのが伝わってきます。

長い避難所生活で、体の不調を訴える人も出てきている人という
ことで、希望者には、ヨーガ療法士が来てくれ、ヨーガを教えて
くれたり、ハンドマッサージをしてくれたり……、Oさん自身
のネットワークで、いろんな方がボランティアで参加し、一緒に
カフェをつくっていきました。

私たちは、立ち上げ準備の半日+2日間お手伝いしましたが
(飯舘に入る途中の支援村スタッフの首藤さん、下郷さんも
後から合流)、カフェはまだあと3日間続くので、支援村から
持参した食器や道具類、日持ちのするお菓子や珈琲豆などを
そのまま寄贈してきました。

Oさんは今回の試みをもとに、今後も定期的にこのような「場」を
作っていきたいと考えているそうです。

Oさんはプロジェクト名と同じく、本当におひさまのような、魅力あふれる
素敵な方でした。一緒にカフェをやらせてもらって、私たちの方が
元気をいただいた気がします。

実は、私たちははじめ、直接避難所をまわることを考えていました。
でも、こちらで実際にカフェをやらせてもらってみて、Oさんが
避難所の外にその「場」をつくった意味がよくわかりました。

窮屈でストレスの多い避難所を、ほんのわずかな時間でも離れて、
ゆったりのんびり、お茶とスイーツを楽しむ時間。
そんなささやかな時間が、避難所で暮らす人たちにとっては、
本当に大切で必要な時だったのです。

私たちも被災者の方といろいろお話をし、来て初めてわかった
ことがたくさんあります。
まだまだ支援が必要なことがいっぱいです。

今回の経験を活かして、これからもawanovaができることを
awanovaらしい方法で続けていけたら、そう思っています。

今回awanovaをカフェチームとして送り出してくれた大山支援村と、
その支援村を支えている大山の地域の方々にも深く感謝いたします。
ありがとうございます。

事務局に関するご連絡

5月30日、月曜日。

支援村の事務局に関するご連絡です。

3月28日以降、週7日間、午前9時~12時と午後13時~17時まで、ボランティアの方々と事務局メンバーが交替制で支援村の事務局常駐スタッフと務めてまいりました。

6月1日(水)以降は電話とメールのみの対応となります。

支援村へのメールでのお問い合わせはこちらからどうぞ。
電話でのお問い合わせはこれまで通り、04-7098-1425にかけていただくと転送されて事務局スタッフが対応いたします。

見学をご希望の場合は事前にご連絡いただければ、対応いたします。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

支援村事務局一同

支援村スタッフの被災地訪問 その2

5月11日〜12日にかけて、支援村事務局のスタッフ4名が二回目の被災地訪問をしました。
首藤、岩田、林菜穂子、下郷さとみが訪れたのは宮城県石巻市、福島県相馬市・須賀川市です。

今回の訪問の目的は、日々状況が変化している被災地の現状を把握した上でどのような支援が必要なのかを探るためです。

以下、事務局長の首藤による被災地訪問の報告と写真です。

写真: 上から…松島での食事(600円!)/  松島の被害  /  大宮神社にて / 石巻の被害 / 宿泊した追分温泉 / カフェ会場を提供してくれる相馬市のまる九さん






 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<旅程>
5月11日(水)
6時      支援村出発
12時過ぎ    松島到着 昼ごはん
14時過ぎ    石巻入り
15時30分ころ  大宮神社到着~石巻漁港
19時      追分温泉到着

5月12日(木)
7時半     熊谷産業訪問@石巻市
10時20分   相馬市役所到着~Oさんと打ち合わせ
12時20分   相馬発
14時45分    自然食品店@須賀川市
16時10分   須賀川発
23時     支援村到着
———————————————————————————

栃木県から福島県に入るあたりで、随所に瓦屋根にブルーシートがかけてある家が見られるようになり、高速道路も、ところどころ凹凸があり、運転により注意が必要になります。
仙台南ジャンクションで、仙台南部道路に入り、仙台東部道路を北上して石巻に向かいます。 

石巻市に行くまでには、仙台市若林区を通ります。
広大な仙台平野に満ちているがれきと泥の堆積を脇に見ていると、 ここに再び稲穂が揺れる日々を描くことは、大きな希望だろうなと思いました。
その日を描くことが希望になるほど、仙台平野は絶望的な状況に見えました。 たとえ塩分が除去できたとしても、田んぼに大きな廃材などがあると、ロータリーが故障したりするし、想像するだに困難な作業を強いられることでしょう。

お昼時になったので、途中松島に立ち寄ることにしました。
4月頭から再開したお店でお昼をいただきました。
松島は被害は少なかったから、とおっしゃっていましたが、 「ここまで津波が来ました」とテープで貼ってあるそのラインは、 軽く1メートルを超えていました。
被害は少ないと言っても、桟橋が壊れたり、堤防が壊れたりしています。
ゴールデンウィーク中は、観光客よりボランティア活動で訪れる方が多かったということでした。

震災後2ヶ月たった石巻市は、主要道路は確かに通れるようになっていましたが、 道路の脇の建物は、ほとんど手がつけられていない状態に見えました。
通常の復興作業においては、がれきを撤去したうえで建物を解体して更地にし、そのあと建物を建設していくのでしょうが、この広範囲にわたった被害状況を回復させるのにとんでもない時間がかかるだろうことが想像されます。

ちょうどこの日は5月11日で、震災後2カ月目でした。 運転手の交代のためにちょうど車を止めた時が2時46分で、石巻市の防災無線が黙祷を呼び掛けていました。

岩田さんのつてでお訪ねしたボランティアの作業場では、青空カフェを作る準備をすすめていました。ラジカセから音楽がなっていましたが、これは2カ月目でようやく流し始めたようです。
大宮神社という名で呼ばれる神社では、震災当日270名の方が避難しており、その地域でも何人も 亡くなったそうです。

海岸から数百メートル離れており、平地から約2メートルほど高いだけだったのですが、建物がゆがむだけで何とか建っていました。その神社の周りは、ほとんどの家が流されたり、壊れたり、立っていても中にはがれきが流れ込んでいたり、と惨たんたる状況でした。

石巻市は被害が大きいところとは聞いていましたが、青森から福島まで、津波の被害にあった地域のことをイメージすると、果てしない規模を想像してしまい、絶望的な感覚に陥ってしまいました。
「ボランティアが足りない」という言葉は誇張でも何でもなく、人手不足は見るからに明らかでした。
しかし、倒壊家屋への立ち入りはプロでも困難な中、ボランティアのできる作業はどうしても限られそうです。

石巻市は、民間3団体で立ち上げた災害ボランティアセンターがうまく機能しているようです。
毎日夜7時の会議で、翌朝の作業をがれき班、心のケア班、炊き出し班、などの部門別会議を行い、 翌日の作業内容を決めているようです。
もし、支援村でボランティアツアーを企画する場合は、このような、すでに活動しているボランティアグループと連動することによってスムースな企画を作れそうです。

夜は、こちらも岩田さんの御友人の紹介で追分温泉という施設に宿泊しました。
震災以来、営業はせず、一時避難、二次避難先として提供されており、 私たちはあいている2室を使わせていただきました。
夜には、岩田さんの御友人の熊谷さんがお越しになって、震災復興に向けての動き、 今の取り組みなどを熱く語ってくださいました。

翌日は、熊谷産業の仮設事務所にお邪魔しました。
仮設と書いたのは、元の会社はすべて流されてしまったからです。 熱い思いをしっかり受け止め、私たちのできることは何かと自問しながら車中の人になりました。

相馬市まで向かう道中では、仙台空港や亘理町をとおります。 亘理町では、自衛隊が田んぼのがれきを撤去している姿が見えました。
時間より少し遅れて着くと、Oさんがお店で待ってくれていました。

地域おこし活動を10年近くやってきて、飯舘村に深くかかわっていたとのことでした。
話を聞くと、福島県の3重被害、地震、津波、原発の被害がいかにすごいかと痛感しました。
マスクをしている人はだれもおらず、ほぼ平常通りの生活が行われていました。
原発から近いこともあり、まだまだがれき撤去もできず、宮城や岩手とはまた質の違う被害を受けています。
Oさん自身も、地域のしがらみがある中、原発の危険を訴える活動をするのは本当につらそうでしたが、 自分がやるしかない、と決意しているようでした。
Oさんとともに、相馬市で5月24日~25日に出張カフェを行うことになりました。

次に、相馬市から須賀川市に向かいました。
須賀川市の自然食品店を営むAさんは、人当たりの良い方でした。 柔和な顔立ちの中に、芯の強さがうかがえました。
Aさんはずっと原発反対の運動をしてきて、震災後一次避難もされました。やはり、「偽善者!」という非難も受けたようです。
実は須賀川市でも、安全な放射線量とは言い難いのですが、 国が安全だと言っている以上、危険だというお前は神経質で変人だ、という扱いを受けているようです。

近隣市である、福島市、郡山市でも積極的な活動が続けられているようです。以下のサイトに連絡してください、と言われました。

◎子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク http://kofdomofukushima.at.webry.info/
◎福島老朽原発を考える会(フクロウの会)http://fukurou.txt-nifty.com/fukurou/
◎皆でつなごう 疎開・移住&汚染食材情報*ここの疎開先に、支援村を登録してください。とAさん談。http://d.hatena.ne.jp/tea_67/

須賀川を出てからは、途中渋滞に巻き込まれながらも、 安全運転で帰ってくることができました。
支援村の今後の活動をどうしていくのかを考える上で大きなきっかけとなる1泊2日でした。
津波と地震の被害のすさまじさ、原発被災の先の見えなさに 暗澹もなりかけましたが、私たちは私たちのできることしかできないと思い直しているところです。
みなさま、送り出してくださりありがとうございました。

以上が首藤による報告です。
前回の被災地訪問(4月3日〜5日)のレポートはこちら ↓ 

気仙沼からの報告 by 林良樹
栃木県鹿沼市からの報告 by 林良樹

飯舘村のKさんご夫妻、鴨川訪問

4月28日、木曜日。

飯舘村で和牛繁殖農家をされているKさんご夫妻(現在は茨城の奥様のご実家に避難中)が鴨川にいらっしゃいました。

お二人は今年の冬に行われた飯舘村のまでいな家鴨川自然王国の交流会の際に鴨川を訪問しており、事務局の林良樹に「移住候補地として鴨川も検討しているので相談しに来たい」との連絡がありました。

Kさんご夫妻を鴨川内に案内した林良樹からのレポートです:

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やはり飯舘村では、この先しばらく田んぼや畑、そして放牧酪農を行うのが難しく、18代続いた農地を離れ、新しい土地で一から始めることを考えているとの事です。

突然降ってきた放射能に、村全体が汚染され、すべての夢と希望と、そして生活と歴史を奪われた悔しさ、無念、悲しみは想像を絶します。

Kさんご夫妻と僕は、鴨川の休耕地で放牧をする酪農家や、和牛を飼うおじいさんに会い、里山や休耕地をめぐりました。
どの方も「たいへんだったねえ、こっちに来たら、なんとかなるよ。放牧する土地なら探してやるから。」
と心強く言って下さり、なんだか僕までじ〜んと希望をもらいました。

荒れる里山、増える休耕地、減る人口の鴨川の農村(いや、日本中の農村)に、帰ることの出来なくなってしまった東北の人を受け入れ、共に新しい持続可能な農村を創り、さらに、放射能に汚染された土地を長期的にサポートする仕組みも創って行きたいと思います。

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今朝、Kさんご夫妻は支援村の事務局ミーティングで飯舘村や村民の方達の現状を聞かせてくださいました。

「若い人、特に子どもがいるお母さんたちは、不安をもっています。
外に出ることを禁じられているし、テレビをつければ飯館村に関する不安を煽るような情報しか流れて来ないので、すごくストレスになっています。」

支援村ではそんな方々を2泊3日で受け入れるツアーや、こちらから避難所などに出向いて移動カフェをするという案が出ているのでそのことを伝えると、「すごく良いと思います」と仰っていました。

そして福島県内の避難所で被災者の方たちのサポートをしている方や、連絡すると良さそうな場所を教えて下さいました。

ただいま支援村では被災者の方々の生の声をもとに、今後の支援の方向性を模索中です。

Kさんご夫妻@支援村事務局  ↓