支援村、鴨川ご案内ツアー
4月16日、土曜日。
今朝、栃木県鹿沼市の体育館で避難所生活をされているO夫妻とH夫妻をスタッフ一同でお見送りしました。
昨夜の支援村での夕飯後は奥さんたちが率先して食器洗いをしてくれたようです。
朝は5:30に起床し、ありがたいことにシーツや枕カバーなどを洗濯しておいて下さっていました。
スタッフのひとりひとりと固い握手を交わし、感謝の言葉をかけるご夫妻たちの表情は14日に支援村に訪れた時よりずっと明るくて、生き生きしていました。鴨川滞在をとても楽しんでいただけたようです。
涙ぐむHさん(奥さん)に「またいつでも戻って来てくださいね。」と声をかけたら何度も頷いていました。
車を見送る私の姿が見えなくなるまでいつまでも手を振ってくれたのが印象に残っています。
14日、皆さんを鴨川を案内した林良樹からのレポートです。
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飯舘村のO夫妻と、浪江町のH夫妻をお連れして
鴨川の山と海を一日かけて、事務局の岩田さんと一緒に
まわって来ました。
大山千枚田では、事務局長の浅田くん、
大山不動尊では、支援村代表の小川さん、
農人舎では、上野さん、
みんなみの里では、事務局長の清水さん、
ふるさと回帰支援センターでは、
市役所の川上さん、センター長の市来さん、
天津神明宮では、鴨川のメディアを構築する神主の岡野さんと、
この街で活躍するキーマンが快く鴨川のお話を
してくださいました。
みんな、ここはいいところだと口ぐちに言い、
鴨川の住み安さをアピールしていました。
他にも、国保病院、長狭学園、鴨川市役所、亀田病院、前原海岸、
とお連れしました。
最後は、ちょっと疲れたので「かんぽの宿」の太平洋が一望できる
展望風呂でゆっくり休んで支援村に帰りました。
まるで、ほかほかと明るい安房の土地全体が意志を持ち、
「なんとかなりますよ」と、語りかけているようでした。
放射能汚染により突然、自衛隊が封鎖し、
家に荷物すら取りに帰る事が
出来なくなってしまった浪江町のHさん。
放射能汚染により突然、自分で開墾した農地と7たんの田んぼを
無念の思いで置いてきた飯舘村のOさん。
その悔しさ、むなしさ、絶望感は、当の本人しかわかりえない
悲しみでしょう。
しかし、日本人全員で、この危機を乗り越えましょう。
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Posted: 4月 16th, 2011 under ニュース.