Main menu:

2011年4月
« 3月   5月 »
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930  

南房総エリア支援サイト

カテゴリー

Site search

気仙沼からの報告 by 林良樹

4月3日に被災地に向かった(詳細はこちら。)林良樹から事務局宛に報告メールが来ました。以下に転載します。

4月5日 午前4:45に届いたメール:

支援村のみなさま

昨日、気仙沼の炊き出しを終え、飯館村に到着しました。
気仙沼は、もう言葉がありません。
自然界の力を思い知らせれました。
あっという間に、圧倒的な破壊力で海辺の街、集落が消えてしまいました。

人も、生活も、家族も、家も、車も、
お店も、船も、旅館も、電柱も、
お気に入りの宝物も、パソコンも、スマートフォンも、
犬も、猫も、歴史も、何もかもが
粉々に砕かれていました…。

人口7万人の内、死者行方不明者2000人、避難民12000人で、
多くの人は、高台の体育館や公民館にぎゅうぎゅうに暮らしていました。

着の身着のままで、命がらがらで逃げて来た人々が、
肩を寄せ合って助け合いながら、なんとか日々を過ごしているといった感じです。

僕が行った公民館にいる20〜30の方々に鴨川の説明をしました。
また、その避難所のリーダーや、世話役の青年Sさん、また市役所にも、
支援村の説明をし、資料を渡しました。

避難民の方に鴨川の話しをすると
みなさん、それはいいですね、
考えさせてくださいといっていましたが、
まだ先のことが考えられないといった状態でした。
家族と相談してみますと。

ただ、気仙沼の全体の2割位の海辺の低い土地に住んでいた方だけが
被害にあい、他の8割の住民は、健在なのです。
だから、気仙沼全体のコミュニティーは破壊されていないので、
他地域から来たボランティアだけでなく、
地元の支援も多くありました。

また、一時避難で他の場所に移っている人は、
土地感のある近隣の市町村に避難している人が多いようです。

しかし、市も、県も、国も、対応が間に合わず、補助金が一人10万から
50万円位しか出ないかもしれません?と聞きました。

やっと、仮設住宅の建設が始まったようですが、
百世帯くらいしかなく、まだまだ厳しい状況が続く様子です。

これからどうすっぺかね…といった先が見えないという感じでした。

そんな中で、とりあえず心身を休めるために、
休養のつもりで短期間でもいらしてくださいとお伝えして来ました。

良樹